みんな日本語の学術言語としての重要性を軽く評価しすぎ

査読論文持ってないひとが責められるのはまあわかる(査読なし論文でも優れた論文というのは有り得るし,そういうのも業績として認められるべきではあろうが,このご時世ではまあ査読論文は持っといた方がいいよな……).でも英語論文を持ってないことが責められる理由になるのは本当に理解できない.

何度も繰り返すけど,フランスでもドイツでもロシアでもスペインでも,そしてたぶん中国や韓国でも,文系の研究業績の大半は自国語だから!

文系の研究業績が自国語で積み上げられるのは,世界標準だから!

(インドやサハラ以南のアフリカ諸国のように長いこと西欧の植民地になってたり言語の数が多すぎたりして大学教育を英語でやっている国や,ツバルやナウルみたいに小さすぎて自国語のアカデミアが成立しない国を除く.そういう国がうらやましいと言うならもう何も言えないけれど)

そりゃ英語論文を持ってたらすごいと思うよ.でも英語論文がないことが叩かれる理由になるのは本当に理解不能.

そもそも,社会学には膨大な日本語の研究蓄積がある.いくつもの査読誌があり,日本語で査読を経た研究成果が積み上げられている.博論をもとにした出版も多く出ているし,入門書から何から日本語で一通り揃うようになっている.

自国語で用が足りるんだから,論文の執筆言語は自国語でいいだろ.繰り返すけど,それが世界標準です.

イギリスやアメリカの学者が英語で書き,フランスの研究者がフランス語で投稿し,ドイツの博士がドイツ語で教授資格申請論文の審査を受け,ロシアの院生がロシア語で報告している中で,なんで日本の教授が日本語の業績しか持っていないのを責められなければならないのか皆目わからない.

これは社会学に限ったことじゃない.政治学だって,歴史学だって文化人類学だって,文学だってそうだ.だいたいどの分野でも有力な査読つき学術誌を持っているし,それらの雑誌は日本語で書かれている.

新入社員だけど、飲み会で風俗の話が普通にされててびっくりした

今年の4月に入社した新入社員です。

下ネタが苦手なわけでも、処女なわけでも初心なふりをしてるわけでもないけど、飲み会で男性社員が風俗の話をするのが疑問でなりません。

わたしの属している部署は東南アジアに駐在や出張することが多く、男性社員はそのついでに買春しているらしいです。

(貧困によって売春せざるを得ない人々がいる等の話は、今回は論点とズレるので一旦置いておきます。もちろんそれに対しても遣る瀬無い思いを持っています。)

はっきり飲み会で風俗に行ったとかそういう単語を出すわけではないけど、イジりの一つとして

「あいつは向こうで遊びまくってたからなw」とか、「1番最初に向こうで覚えた言葉は2500ですw」って若手が言って男性社員がドッと笑うとか。(おそらく女性がらみの遊びの時に使う金額のことだと思った)

若い女性の先輩が男性社員に「向こうでおすすめの場所教えてください!あ、言える範囲でいいんで(笑)」って言ってたりとか。

そういうことが大前提として共有されてるのに驚いた。

全部気持ち悪いっていうか、なんで女性(と思われる)をお金で買った話をこんなに普通にするんだろう、せめて飲み会とはいえ会社の人たちなのに、そんな場でも買春した話を面白おかしくするんだなあと思った。

普段から男女の不均衡(男性も女性も優遇されたり不遇であったりしてる)ことについて考えたりしてて、そういう話をしている友人は共感してくれたけど、

会社の同期に話したら、男性は笑ってるだけか、「なんと言っていいかわからない」と言っていて

女性には「飲み会の場だから仕方ないと思っちゃうから、あなたの気持ちはわからない」って言われた。

または「そんなに嫌なら直接言えばいいじゃん」と言われた。

 

知っておきたい東京駅の活用法

サービスを活用して荷物を預けよう
荷物を預けたいときに空いている「コインロッカー」が見つからないと困りますよね。そこで活躍してくれるのが、どこに空きがあるのかを検索できる「コインロッカーなび」。大・中・小のサイズで絞り込むこともできるのでとっても便利なんですよ。
ロッカーに入らない大きい荷物は手荷預かり所(クロークサービス)を利用すればOK(1個600円/大きさ・重さ制限あり)。場所は1階・JR東日本トラベルサービスセンターと改札内地下1階・グランスタ内。ここから荷物を空港に送ることもできますよ。

手紙を出すなら丸の内中央改札付近のポストへ
丸の内中央口改札付近(改札内)には、東京駅を模した形の郵便ポストが設置されています。向かって左側の投函口に郵便物を差し出せば、「風景印」と呼ばれる特別な消印を押してくれるんですよ。日付と「東京中央」の文字、東京駅が描かれたデザインなので、旅の記念に家族や友人、自分に向けて手紙を出してみては?

こんなサービス・施設も便利
そのほかにも、うれしいサービス・施設が満載。たとえば、グランスタ内にある「ステーションコンシェルジュ東京(英語対応)」。駅施設の案内のほか、都内の観光・イベント情報、地方の観光情報など、さまざまな質問に対応してくれます。
赤ちゃん連れの方は、オムツ替えベッド、手洗器、授乳用イスが完備された「ベビー休憩室」も要チェック。改札内なら1階の東北・上越・北陸新幹線中央のりかえ口と地下1階・八重洲地下中央口。改札外なら地下1階・キャラクターストリートにあります。
1階・丸の内北口にあるJR東日本トラベルセンターとグランスタには「外貨両替所」も。いずれも33の通貨に対応しています。
引用元:https://wow-j.com/jp/Allguides/tokyo/tips_manners/01330_jp/

お台場で「東京モーターフェス2018」開催! 写真をSNS投稿すれば愛車が展示されるかも!?

一般社団法人 日本自動車工業会は2018年10月6日(土)から8日(月/祝)に東京臨海副都心の特設会場プロムナード公園及びMEGA WEBにて「東京モーターフェス2018」を開催します。

「胸に、ぎゅんとくる。」をテーマにしたこのイベントは、クルマ・バイク・商用車の最新車両の展示、試乗体験やデモ走行をはじめ、e-スポーツや痛車の展示、キッズ向けや女性向けのプログラムなど、今までにないコンテンツを数多く用意することで規模が拡大されました。

 9月5日(水)からは開催に向けて『#ハッシュタグキャンペーン』を開始しており、『#胸ぎゅん』『#車愛』のタグを付けてクルマ・バイクに関するご自身のエピソードをTwitter上に投稿すると、抽選で様々なオリジナルグッズが獲得できます。

 また、「平成最後」の開催となる今回は、時代を彩った名車やブームを振り返る企画も用意されていますが、ご自身の自慢のクルマ・バイク画像に『#愛車を見てくれ』のハッシュタグを付けてSNSに投稿すると、その中から30台限定で東京モーターフェス 2018 の会場内にクルマが展示されるとのことです。

 一般社団法人 日本自動車工業会はこの「東京モーターフェス2018」を通じてクルマ・バイクファン拡大を目指すとともに、来年開催される「第46回東京モーターショー2019」に向けて、盛り上げにも繋げていくといいます。

「結婚はエラい、子供がいればもっとエライ」と思う人へ…4ページのマンガが話題

アーティストのさわぐちけいすけさんが6月3日、「まとめられる筈の無いこと」と題する、結婚感についてのマンガをTwitterに投稿し、話題になっている。

さわぐちさんは、「まだ結婚しないの?」「子どもがいないと将来さびしいし後悔するよ」などの悪気ない発言が存在することを4ページの漫画で表現。事情があって結婚しない人もいることを挙げ、「結婚や子供を選択しない。だからこそ得られる幸せも当たり前にある」と、自分の周りの事例を紹介した。

さわぐちさんは、2016年から趣味で漫画を描き始め、マンガサイト「マンガボックスインディーズ」では、「ぴーすけ」のペンネームで妻との生活を描いた作品『つまり おっとり』を公開している。5月に公開した第20話「夫婦円満の秘訣」は、Twitterで5万RTを超えた。

今回の作品を作成したきっかけについて、さわぐちさんはハフポスト日本版に次のように語った。

「夫婦のマンガを描くようになってから、自然と周りにも結婚や出産についての話題が集まるようになりました。

子供を産みたくても事情があって産めない。結婚したいけど出来ない。など、世間で言うところの普通を選択したくても出来ない、にも関わらずそれを理解されず責められる人もいて、そんな人に一瞬でも気休めになれば良いなと思って描きました」

感じたことをマンガで表現するときには、なかなか「まとめられない」と苦労もある。

「簡潔にまとめるとどうしても誤解が生まれ、既婚者や子持ちへの攻撃と捉える方もいるようです。その辺は今後も気長にマンガで応えて行く姿勢です」

84年前の少女たちが「今の女子高生と同じ姿」と衝撃走る

84年前の日本を撮影した動画に映った女学生と思われる少女たちが、現代の女子高生と変わらないファッションをしていると、ネット上で話題になっている。お下げ髪こそ古風だが、セーラー服や膝丈のプリーツスカートにタイツ姿で目いっぱいオシャレしていることが分かる。

この少女達が映ったのは「JAPAN LAND OF THE CHERRY BLOSSOMS」というモノクロ映画。2012年にオランダのミハエル・ロジェさんが「1932年の日本の映像」として、YouTubeにアップした。「女学生」たちは2分48秒〜54秒にかけてカメラの前を通過している。

1932年といえば、昭和7年。日本は深刻な昭和不況からは立ち直りかけていたが、軍部の発言力が増大。犬養毅首相が殺害される五・一五事件が発生したほか、日本軍の占領地域に満州国が建国された。ドイツではナチスが第一党に躍進するなど、第二次大戦前夜の不穏なムードが世界中に漂い始めていた。

そんな中でも人々は、日々の生活を楽しんでいたことが分かる貴重な動画。ただし文字が鏡文字で映るなど、映像は左右が反転している模様だ。

まさか、この少女たちはタイムトラベラー?「時をかける少女」だったのか?

ここでネタ晴らしをしたい。まず女子高生の着ているセーラー服であるが日本での歴史が古く1921年(大正10年)に福岡女学院が採用したのをきっかけに全国の女学生に広まっている御嬢さん学校ではポピュラーのもの。着用している黒タイツもこれも戦前に女性の間で大流行し、今も女性が着用する「バルキータイツ」の一種ではないかと思われる。

そう・・・彼女らはタイムトラベラーではなく当時の普通の女子高生だったのである。セーラー服もバルキータイツは21世紀でも健在のためやや浮いて見えるが、女性のファッションセンスはあまり変わっていないという貴重な資料である。

「女子力」のヤバさに、私たちはもう気づいているはずだ

この前、2歳になる私の姪と半年ぶりに会った。すると、その変貌ぶりにあっと驚かされた。前回会ったとき彼女はたしか、大人の計るタイミングに合わせてオムツを変えられ、大人の用意したご飯を食べさせられ、ご飯が終わればトントンと抱っこで寝かしつけられていた。
ところが今回は、夕飯が始まるやいなや「納豆ごはん食べたい」と要求するし、眠いなと思ったらタオルケットを持ってきて床に敷いて横になるし、うんちをすれば「うんちした、オムツ替えて」と大人に伝え、自ら率先して仰向けになり、大人がオムツ替えをしやすいよう、両足を高くピーンと上げて待機する始末。たった半年会わない間に、姪は自分の意志に従って生きるようになっていたのだ!

自分が食べたいものを食べて、眠いときに眠って、人の手助けが必要なときには堂々とそう主張する。主体的に生きるってこういうことで、2才児でやれるのだから本来何も難しいことはないはず。なのに大人になった今、私は割と定期的に、果たして自分にこれができているかどうかを振り返るようにしている。何せそうじゃないと、すぐに見失いそうになってしまうからだ。

何を食べたい? と聞かれても何となくめぼしいものが思い浮かばなくて、恋人や家族がうまいこと自分の中に眠る正解を探し当ててくれるのを期待したり。眠たいのに献身をアピールするため、もしくは無言のプレッシャーをかけるために、恋人の帰りを待って深夜まで起きていたり。苦しくて、寂しくて、困っているのに助けてと言えない。それどころか、言えない自分を棚に上げて、困難を察してくれない誰かに、一方的に不満を募らせたり。
やりたいようにやらないことも、やらないことをやれないこととし、その責任を他人に転嫁することも、私達の身近なところにめちゃくちゃたくさん転がっている。

本来とっとと吐き出しておくべきなのに長らく溜め込んでしまった本音は、時間が経てば経つほど自分の中で腐って、発酵してドロドロになってしまう。だから、一気に溢れたときにかなり厄介だ。だけど、それでもつい飲み込んでしまう理由の一つには、一時期やたらと重宝された「女子力」という言葉の影響があるのではないか。

嫁や恋人以外の女と旅行に行くのはやめろ

今思えば、何から何まで完全に俺が悪かったのだ。

だからこれは単なる愚痴で、ちっちゃな男の決別の文章だ。

ことの始まりは友人Aが彼氏にこっぴどく振られたので、傷心旅行に行きたいと友人Bと俺のライングループに誘いをかけてきた。

ここで軽く人物紹介をしておく。

友人A:女。いわゆるスイーツ思考の持ち主。人の悪口で連帯感を求めるタイプ。

性格が悪い。

友人B:女。自称毒舌。性格が悪い。

俺:男。流されやすい性格。性格が悪い。

なぜこの3人でつるんでいるのかと言うと、学生の時とある実習グループが一緒で、卒業した後も年に1〜2回集まって愚痴を聞いたりしながらちょこちょこ遊ぶ仲だったからだ。

本題に戻ろう。

Aが「とにかく旅行に行きたい!せっかくなら海外!」と言うので、海外旅行に行ったことが無かったBや俺もつい乗り気になってしまった。

あれよあれよと決めて行く内に南国の国に4泊6日で旅行に行くことになった。

この時点で冷静に考えてみれば防げた事態だったのかもしれない。

このメンバーで4泊も一緒に過ごしたことなど無いのだ。

そもそもこの3人はAが基軸に動いているグループだ。Aが言い出しっぺとなり、Bが賛同し、俺が調整する。そんな仲だった。

9月末で60歳定年退職しました

当社の規定により満60歳で定年退職をした。長いようで短かった会社員生活も一区切りだ。自分のプログラマとしての会社員生活を振り返ってみる。無駄に長いし結論はないのでお忙しい人は飛ばして欲しい。

9月末なのでブログ界隈では退職エントリーがそこかしこに書かれると思うが、その中で自分の退職エントリーを連ねることにどれほどの意味があろうか。もちろんないのだが、それでも多くの書き手の年齢を考えると満60歳定年退職というところに若干の希少価値を見出せなくもない。

1984年に大学院修了して以来、プログラマとしてのキャリアを重ねてきた。大学時代の同期でプログラマとして就職したものは皆無だ。当時、工学部の同期はメーカーに就職するのがほとんどで、大手家電メーカー、自動車メーカー、電力会社などなど、当時の誰でも名前を知っている人気企業に就職するものが大半だった。

その中で、日本ディジタルイクイップメント(DEC)研究開発センタという外資系の知名度のない小さい企業に新卒で入るというのは異例といえば異例かもしれない。本人はそんなことは全然思っていなかったのだが、世間ではそのようなことを思っていたかもしれない。実際、両親はDECのことを知らなかった。*1

DECでは日本語版COBOLプリプロセッサを作るのが最初の仕事だった。実用的なプログラムを作ったことがない新卒のプログラマにとってはちょうど良いサイズのプロジェクトだったと、いまだからこそ思う。

言語プロセッサを作るということは、言語仕様は明確に決まっているので、典型的なウォータフォールモデルになる。仕様が与えられ、それに基づいて設計し、実装する。実装するというのはコードを1行1行書くという地味な作業なのだが、新卒の頭でっかちなプログラマは、もっとカッコいい仕事があるに違いないと思い違いをしている。第二次人工知能のブームなので、そんなところで仕事があるといいなあと思っているんのだが、もちろんない。

最初にやったことは見よう見まねでコマンドスクリプトを駆使してビルド環境を作ることだった。生まれて初めてmakefileを書いた。makefileというのは、どのようにプログラムをコンパイルしてビルドをするかというルールを記したファイルなんだけれど、知っている人には冗長な記述だし、知らない人には、これでは説明にならない。

学級崩壊した後の学級担任

1度だけ、自分のクラスが崩壊した経験がある。ただ、若い時で、記録もちゃんと取っていないし、その時は必死になっていたので、いったい何が原因で起こったのか不明である。諸先輩方には連日いろいろアドバイスをいただいたが、結局、収束には至らなかったような記憶がある。

その後の長い教師生活の中で、学級崩壊を間近に見た経験がある。それをここで書きたい。

最初はある、教育に非常に熱意のある、若い女の先生のクラスで起こった。
転勤してきたばかりで、学校や子どもの様子をよく知らない。それなのに、5年生を担任した。
教育に対して非常に熱意のある先生だ。クラスはこうでなければならない、子どもと子どもの関係はこうでなければならない、ということで指導されていた。友だちとは仲良くするものでしょ、力を合わせあうものでしょ、ということを真っ直ぐに子どもに言っていた。
勉強についても熱心に取り組まれていた。力の弱い子どもには、やさしいドリルを別に作ってやったり、放課後遅くまで勉強をみてやったりしていた。何度か、理科(算数)のここ、むずかしいでしょ。どうにかやさしく教える手だてはないものでしょうか、と質問を受けたことがある。
中休みに子どもと一緒によく遊んでいた。
ところが、6月頃から学級がうまくいかなくなった。相談も受けた。
原因は、熱心すぎることにあると思った。上に書いたように、この先生には子どもはこうあるべきだという強い思いこみがあって、それに合わない子どもに強く指導する傾向があった。それが、少しのことでも強く指導するものだから、子どもの方でだんだん先生から離れていったわけである。
もう少しゆとりをもたれたら、というアドバイスは差し上げたが、先生の人柄からはそれを認めるわけにはいかないようだった。一端敷いた路線を変更することは確かに危険である。
で、先生は病休を取られ、翌年の3月には他校へ転勤された。
熱心な先生が転勤されたことは大変残念だった。